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No.20「西アフリカに広がるカラフルな砂浜」(JICS REPORT2011年4月号)
 清 卓也 在セネガル日本国大使館(2011年4月時点出向中)

(写真)
遠浅が続く砂浜を、大西洋の波が洗う

 セネガル共和国は、西アフリカ地域にあり、首都は、皆さんもご存じの「ダカール・ラリーレース(通称パリ・ダカ)」の終点ダカール※です。ダカールには、アフリカ大陸最西端の岬アルマディがあります。そこに特別な何かがあるわけではないのですが、アフリカ最西端の眺望を楽しめます(当たり前ですが…)。

 この最西端の岬から北上してモーリタニア、モロッコまで、アフリカ大陸の西海岸は非常にきれいな砂浜が続きます。その砂浜は遠浅で砂の肌理が非常に細かく、波が引いた後には、水を含んだ砂が鏡のように空の色を反射します。雨季の夕暮れ時になると、そこに夕日が反射して、空の色と同じ薄紅色となります。この景色を見ていると、世界全体が淡い薔薇色に燃え上がっているような錯覚に陥ることがあります。『星の王子様』の著者サン=テグジュペリは、若い頃にトゥールーズ〜セネガル間の郵便飛行機のパイロットをしていたことがあるそうです。もしかすると、この海岸線を眼下に見おろしながら、一路セネガルを目指したのかもしれないと想像しています。

 こんな素敵な砂浜を持つセネガルは、1960年にフランスから独立して以来、大きな内乱などもなく安定した政治状況を維持してきました。大好きなセネガルが、西アフリカの基軸国として、これからも安定的に発展していくことを支援していきたいと思っています。

※2007年12月にモーリタニアで起きた、アルカイダが関与しているとの噂もある「フランス人観光客殺害事件」を契機に、「パリ・ダカ」は、一時的なレースの中止を経て、現在では、南米(アルゼンチン〜チリ間)で行われるようになりました。うーん、残念。

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No.19「ラオス 伝統舞踊の教室で知ったラオス社会の光と影」(JICS REPORT2011年1月号)
 松本 梨佳(ラオスプロジェクトオフィス)
(赴任期間2009年3月〜)

(写真)
ラオス舞踊の教室で、先生(後列、右)と生徒の子どもたちと

(写真)
生徒の子どもに踊りを習う筆者

 2009年3月より、ラオスでコミュニティ開発支援無償の小学校建設案件を担当しています。ラオスは穏やかな土地柄で、伝統文化が静かに守られている魅力的な国です。

 なかでも特に惹かれたのが、手の指・甲・手首をしなやかに反らせる優美な動きが特徴的な伝統舞踊です。着任当初より業務で精一杯でしたが、ここ半年ほど何とか時間をやりくりして週末にレッスンに通っています。教室では、先生の信念により子どもたちに無償で踊りや歌を教えています。のみ込みの早い子どもたちにも教えてもらいながら徐々にコツを覚え、憧れだったラオス舞踏を習得する喜びを感じています。

 教室に通ってくる子どもたちはみな朗らかですが、家庭では貧困や家庭内暴力、教育放棄などさまざまな問題を抱えているそうです。先生はそれに向き合いながら、子どもたちに希望を与えるべく懸命に活動しています。

 これらの問題は、近隣国からの情報・消費文化の大量流入、投資の増大などで環境が劇的に変化するなか、将来を担う子どもたちを育むべき家庭と教育が置き去りにされていることの一つの表れで、今後、ラオスがより精力的に取り組むべき課題であると感じています。踊りを習うことを通じて、仕事だけでは知り得なかったラオス社会の光と影を少しだけ垣間見ている気もします。

 関係者のご協力のおかげでプロジェクトは順調に進んでいます。小学校の建設がラオスの人々に役立つことを願いながら、最後までしっかりと自分の役割を務めたいと思います。

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No.18「レソト ワールドカップ開催に沸いた冬のレソト」(JICS REPORT 2010年10月号掲載)
 若村 高志(レソト・プロジェクトオフィス)
 (赴任期間2009年1月〜2010年10月)

(写真)
レソト人の伝統衣装

(写真)
レソトの雪景色(2009年8月5日、レソト、モコトロング県)

(写真)
JICS記念品の贈呈 筆者と校長(2009年3月5日、レソト、マセル、引渡し式にて)

 アフリカ南部の国々のなかでも比較的、日本人に知られていないと思われるレソト王国は、南アフリカ共和国に周囲を囲まれ、日本の九州の7割程の国土に約200万人の人口を有する独立国です。標高1,500m以上の高い山脈が多いことから「山の王国(Mountain Kingdom)」「天空の王国(Kingdom in the Sky)」などと呼ばれています。標高が高いため気温が低く、レソト人は伝統衣装として毛布を羽織っているのが特徴です。ダイヤモンドなどの鉱物資源が産出され、豊富な水資源は南アフリカに輸出されています。

 レソトには四季があり、2010年に日本での猛暑が伝えられていた頃、南半球のレソトには厳しい冬が到来していました。1年のうち300日は晴天になるといわれ、6月からの冬季は空気が乾燥し、車の乗降時の静電気に悩まされます。山間部では雪が積もり、アフリカで唯一といわれるスキー場は南アフリカ人向けのちょっとしたリゾートスポットになっています。9月になると春の訪れを知らせる強い風が吹き、桃や梅の花が咲き始め、日本の春の風景が思い出されます。

 南アフリカで開催された2010FIFAワールドカップの期間中は、同国に隣接している、ここレソトでも大変、盛り上がりました。日本対カメルーン戦の試合会場となったブルームフォンテーンはレソトの首都マセルから車で1時間半の距離で、日本からの観戦客がマセルに宿泊することもありました。

 コミュニティ開発支援のプロジェクトオフィスは、マセルにある教育訓練省の別館内に居を構え、7校の学校建設プロジェクトのマネジメントを行っています。最も遠いプロジェクトサイトはマセルから車で5時間離れた山間部にあり、どこまでも続く青い空と山に囲まれながらサイトでの作業確認を行っています。学校建設に対する地域住民やレソト政府の期待は大きく、案件終了を間近に控え、日本の援助で建てられた新設校で学んだ生徒がどのように成長していくのか、楽しみです。

レソトは「ソト語を話す人々」という意味

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No.17「ボリビア 世界遺産の白い街並み」(JICS REPORT 2010年7月号掲載)
 表 将幸 職員(ボリビアプロジェクトオフィス)
 (赴任期間2008年4月〜)

(ボリビアの地図)

 オフィスは、ボリビアの憲法上の首都であるスクレ市にあり、スクレ市とポトシ市各15校(計30校)の教室建設と家具供与を実施する「ポトシ市及びスクレ市教育施設建設計画」案件を担当しています。

 ポトシ市は、標高4,067mに位置する世界最高所の都市で、南米の都市の中で最もスペイン統治時代の面影を残しています。16世紀に発見されたセロ・リコ(スペイン語で「豊かな山」)」から採鉱された金・銀は、多くの先住民を犠牲にしてスペインに多大な富をもたらし、3世紀にもわたったスペインによるラテンアメリカ統治を可能にしました。もし、スペイン統治時代に採鉱が行われていなければ、ボリビアは現在のように南米の最貧国にはならなかったといわれるほどです。近年、その神秘的な光景とリチウムの埋蔵量で注目されているウユニ塩湖も、ポトシ市を県庁所在地とするポトシ県内にあり、ポトシ市からは車で7時間ほどの場所に位置しています。

 一方、スクレ市はポトシで採鉱された銀を運ぶ中継地として、ポトシ市よりもはるかに低い標高約2,900mに建設されました。セロ・リコからの莫大な富をもとに、スペイン人によって建設された白い建物の街並みは、ポトシ市同様、世界遺産にも指定されています。また、市内中心から車で約20分の場所には、世界最大級といわれる恐竜の足跡の化石があり、観光名所の一つになっています。

 スクレ市は、1809年5月25日、ラテンアメリカで最初にスペインからの独立運動が起こった地であり、200年祭を迎えた2009年5月には盛大なイベントが行われました。

 ボリビアは伝統的な親日国の一つであり、第2の都市サンタクルス近郊には二つの日本人移住地もあります。日本文化への関心も強く、漢字で名前を書いてあげると、とても喜ばれます。ボリビアの将来のために、一刻も早く案件を完了できるよう努めていきたいと思います。

(写真)
「白い街」ともいわれるスクレ市の街並み
(写真)
セロ・リコを背後に抱えるポトシ市

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No.16「ニカラグア 将来の希望を育てる」(JICS REPORT 2010年4月号掲載)
 宍戸 雄 職員(ニカラグアプロジェクトオフィス)
 (赴任期間2008年9月〜)

(写真)
野外で学ぶモンセニョール・ホセ・デル・カルメン校の子どもたち

 高台から一望すると意外に緑の多い首都マナグアに、オフィスはあります。乾季が11月〜4月、雨季が5月〜10月ですが、年間を通して暑く、紫のブーゲンビリアの花と木々の緑が景観にアクセントを与えています。

 プロジェクトオフィスは、日本大使館から徒歩30秒のビルに間借りをして、コミュニティ開発支援による26校の学校建設と機材整備のプロジェクトの仕事をしています。

 現在学校を建設しているのは北部の山岳地帯で、手つかずの自然に囲まれている場所もあります。プロジェクト終了後、多くの子どもたちは舗装されていない山道を毎日登校することになりますが、新しい校舎に通うことが勉強する励みになってくれるものと期待しています。

 ニカラグアは隣国との戦争、内戦、地震やハリケーンなどの自然災害、政治混乱に翻弄され、多くの大人が心の傷を抱えたまま生活していますが、子どもたちこそが国の将来の希望だといいます。働く子どもも多いなかで、教育の重要性も改めて見直されてきています。

 日本の援助で建てられた学校から、この国の将来を担う人々が数多く巣立ってくれること、両国の友好関係と「アミーゴ」の絆を深める機会が増えることを願い、私たちもプロジェクト遂行に努めたいと思います。

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No.15「アンゴラ 目に見える発展」(JICS REPORT 2010年1月号掲載)
 三明 昌仁 職員(JICA南アフリカ事務所出向)
 (赴任期間2008年2月〜)

(写真)
発展するルアンダ港を望む

 今、アンゴラに来ています。ギニア湾岸のほぼ曲がり角に位置し、アフリカで第2位の石油産出量とダイヤモンドなどの豊富な地下資源を誇るこの国は、ポルトガル植民地からの独立後、27年にわたる内戦に苦しんできました。JICAの事務所がないアンゴラの技術協力案件を、私はJICA南アフリカ事務所から出張ベースで担当しています。

 内戦終結から7年を経過した今、この国では戦災復興のステージを乗り越え、さらなる経済発展を目指して、政府も企業も国民も躍起になっている様子を垣間見ることができます。出張のたびに目に見える発展を遂げている姿には、いつも驚きを禁じえません。

 例えば首都ルアンダの湾岸地区の夜景は、続々とビルが増えるため、見るたびにその輝きを増しています。アンゴラへの玄関口であるルアンダ空港でも、書類の省略などによる入国手続きの簡易化が進んでいます。今や待合室に冷房も入り、赴任直後に経験した大混雑に比べると、かなり快適に通過できるようになりました。

 私の任期ははや半分を過ぎましたが、これからもこの急速な発展に驚きを繰り返すのだろうと思います。そして任期を終えて数年を経たとき、この国の変わった姿を、また見られたら面白いだろうと、今からすでに楽しみにしています。

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No.14「日系移民の先駆者」(JICS REPORT 2009年9月号掲載)
 大島正裕職員(ペループロジェクトオフィス)
 (赴任期間2008年5月〜)

(写真)
田中貞吉の銅像

 ペルーにおいて日系人は確固とした地位を築いています。その源流である第1回日本人移民(実質は出稼労働者)が横浜を出航したのは、いまから110年前の1899年2月のことでした。
 第1回移民は計790人。この移民送致を実現したのは、「森岡商会」の代理人田中貞吉(1857〜1905年)でした。山口の岩国藩に生まれ、米国で学び、富山中学の初代校長を務めた明治の中堅官僚。それが突然野に下り、日本人労働者を南米に送致する一大事業に乗り出します。田中がなぜペルーに向かったのかは俗説が多く真実は明らかではありませんが、ペルーに到着したとき、砂糖農園では低廉で良質な労働力が求められていました。田中は卓越した行動力を見せ、手始めにペルー農業協会と話をつけ、日本人移民の各地農園への受入れの手筈を整えると、帰国して希望者の募集に乗り出しました。この結果、1899年に移民送致が実現したのです。
 しかし、第1回移民は、就労先の砂糖農園の過酷な労働や風土病により多くの犠牲者を出し、さんざんな結果に終わりました。田中への批判が噴出する一方、第2回目以降、移民事業が軌道に乗ると、彼は日系社会のなかで「ペルー移民の先駆者」と称えられていくことになります。
 いま、私たちはペルー社会の見守るなかで、「イカ州地震被災地復興計画」を推進しています。イカ州まで向かう途中、カニェテと呼ばれる地域を走り抜けます。そこは第1回移民が就労した農園があったところです。ここを通過するたびに、私は田中貞吉の名前を思い出すのです。

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NO.13 「いま、尊敬する人(?)」(JICS REPORT 2009年4月号掲載)
 柳沼 亮寿職員(カンボジア地雷対策センター(CMAC)出向中)
(赴任期間2006年4月〜)

(写真)
アフリカからの視察者と地雷犬たち。
右から2人目が筆者

 昨年、「地雷探知犬に10匹の赤ちゃんが生まれたんだよ」と家で話したら、娘が「地雷犬、飼いた〜い!」と言い出し、絶句しました。
 私の配属先であるカンボジア地雷対策センター(CMAC)では、80数頭の地雷探知犬が活躍しています。幼い頃にボスニアで訓練を受けてやってきたシェパードです。日中、40度近くになる季節でも、ハンドラー(担当者)に一切逆らうことなく、丁寧にラインに沿って地雷の火薬を嗅ぎながら、地雷原を歩くのです。それはもう、まさに命がけの仕事です。そのような過酷な条件下で仕事をしている彼らと、しばらく写真を撮ることができないでいました。
 ちょっと出かけて物珍しげに写真を一緒に撮るなど、申し訳ない気持ちだったからです。
 しかし、このままでは思い出すら残せないのではと思い、アフリカから訪問者を迎えたときに、初めて地雷犬の隣に腰をおろしました。ハンドラーの指示に従って、身じろぎもしません。そして今年1月、中曽根外務大臣が訪問されたときにはなんと立派だったことか。大臣を前にして、軍人のように直立ならぬ「お座り不動」。興味を示された大臣からの質問に対しても、自信をもって受け答えしているように見えました。
 地雷除去において、近年、地雷探知犬の活躍には目覚しいものがあります。役に立つがゆえに大事にされているともいえるのですが、遠く祖国を離れ、このような暑い原野で生きてゆかねばならない彼らの人生を思うと、複雑な気持ちになってしまいます。人間の命を救うために、自らの一生をささげる彼らの後姿に、私はただただ敬服するばかりです。

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No.12 「りんごの成る事務所より」 (JICS REPORT 2009年1月号掲載)
 荒川 奈美職員(ブータン プロジェクトオフィス)
 (赴任期間2008年6月〜)

(写真)
りんごの木の下で

 蝉の鳴き声に作業の手を休めて窓から外を見やると、そこには鈴なりに実ったりんごの木の枝が重たげに顔をのぞかせています。日本では夏の代名詞とも言える蝉の鳴き声と、秋の味覚の代表格であるりんごが同時に最盛期を迎えるという少し不思議な光景が、ここで初めて秋を迎える我々を驚かせました。
 2008年6月、ブータン王国の首都ティンプーに在外拠点を構えて以来、この地で自然の力を感じない日はありません。四方を囲む山々の緑と澄んだ空、街の中心を流れる川の流れに毎日心が洗われ、そこに彩りを添える木々や草花に季節の移ろいを知らされます。海こそありませんが、日本人の顔立ちによく似た人々と美しい山水に出会えば、誰しも穏やかな気持ちになるのではないでしょうか。
 しかし、標高2,400メートルという高地に位置する当地は、特に朝晩の冷え込みと日差しの強烈さにおいて、東京とは決定的に異なります。実は、冒頭で「蝉とりんごの不思議な共演」に目を見張っていた10月、我々がいた事務所内は、あまり日が当たらないためか、ストーブに薪をくべないことにはじっとしていられないくらい冷え込んでいたのです。一歩外に出れば、じりじりと日光が肌を刺すのですが…。春以外の全ての季節が共存しているようでした。
 このように、我々の感覚では分けきれない季節感をティンプーでは楽しむことができます。本稿が掲載される2009年1月には、一体どんな冬が訪れているのでしょうか。
 ちなみに、気になるりんごの味ですが…、たいへん酸っぱく残念でした。事務所の周辺にはほかにどんなものがあるか、引き続き探してみようと思います。

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No11 「コーヒー道を極める」 (JICS REPORT 2008年9月号掲載)
 大本 利幸 職員 (在エチオピア日本大使館出向中)
 (2006年1月〜2009年1月)

(写真)
イルガチェフェコーヒー

 エチオピアに着任して2年半が過ぎました。いつの間にか、在エチオピア大使館で3番目の古株です。
 エチオピアはご存知のとおりコーヒーの生まれ故郷で、その経済を支えているのもコーヒー。日本はドイツに次いで2番目のお得意先です。先日、地方出張のついでに、エチオピアの3大コーヒーブランドのひとつ「イルガチェフェ」地方のコーヒー農園に立ち寄って、コーヒー豆収穫の現場を見る機会がありました。どこまでも青い空の下、緑の丘が延々と連なる中にほぼ自然のままに実る小さな赤い実は、そこからあの黒くて苦い、それでいて甘いような酸っぱいような複雑な味わいを持った飲み物が生まれるなどという想像を、まったく許さないほどに、ただ可憐な佇まいを見せていました。コーヒーが生まれた故郷の景色は、すっかり人類を虜にしてしまったその味と香りに負けないくらい魅力的だったのです。
 だから……というわけではないですが、最近、コーヒーの自家焙煎に凝っています。大使館の執務室に経済協力班員が共同で購入したコーヒーメーカーを設置することになり、成り行き上、経協班長(私です)が、その管理者になりました。同時に、いかにおいしいコーヒーを淹れるかというのが毎日の課題となったわけです。
 上述のイルガチェフェ、近所のスーパー、輸出専門店といろいろなところで入手した生豆を、週末ごとに台所にこもって、ああでもないこうでもないと取っ手がゆるんだフライパンでいろいろな煎り加減に仕上げては、同僚に評価してもらっていますが、コーヒーの好みは十人十色というのが今のところの結論です。
 残り半年、果たして任期中に究極のコーヒーを淹れることはできるのでしょうか……。

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