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ODA FAQ

 JICSは、主に日本の政府開発援助(ODA)に関する国際協力事業の適正かつ効率的な実施の促進に向けた活動を行っています。
 ここでは、日本のODAに対する理解を深めていただく一助として、日ごろ耳にすることが多いご質問などを集約し、Q&A方式でわかりやすくご紹介します。

「ODA」って何の略?

ODA:Official Development Assistance
政府開発援助=国が行う開発途上国援助

政府または政府の実施機関によって、開発途上国または国際機関に供与されるもので、開発途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に役立てるために行う、資金・技術提供による協力のことです。

ODAの目的とは?

国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じて日本の安全と繁栄の確保に資することです。

ODAは、なんで必要なの?

経済的に豊かな国が開発途上国を援助するのは、全世界の約8割にものぼる開発途上国に、貧困や病気、水問題や紛争など、世界の国々や人々が力を合わせなければ解決できない多くの人道上の問題があるからです。
同時に、援助するのは、実は日本のためでもあります。たとえば感染症や環境の悪化などをそのままにしておくと、日本や地球全体にも悪影響を及ぼすことになります。国際社会の一員として、ODAを通じて途上国の発展を手助けし、環境や感染症といった地球全体の問題解決に努めることが必要なのです。
日本も先の戦争後困っていた時代に、諸外国や国際機関から大きな援助をもらいました。
今は恩返しをしているとも言えます。

日本も1990年まで援助を受けていた?!

実は、日本が第二次世界大戦後の荒廃からたち直ることができたのも、海外から多くの援助を受けてきたおかげなのです。
日本の子どもたちへの学校給食や薬を援助してもらったり、また高度経済成長を支えた東海道新幹線や東名・名神高速道路や黒部第4ダムも、世界銀行から借りたお金でつくられました。
日本がこの世界銀行から借りたお金を返し終わったのは、1990年7月のことなのです。

日本も不況なのになぜODAをしなくてはいけないの?

 日本人が生活を維持し生産活動をしていくためには、国内でまかなえない食糧や石油、鉱物資源など多くのものを開発途上国を含む海外から輸入しなくてはいけません。また生産活動の結果、完成した生産品を輸出しなければ経済が成り立ちません。

 日本人の生活には、国際社会の安定や途上国を含む諸外国との友好関係が必要なのです。

 このように国際平和を拠り所とし、資源・食糧を海外に依存する日本にとって、国民の生活を守り自国にとって好ましい国際的環境を構築するためにもODAは役立っています。

 ODAを通じて途上国の発展を支援したり、地球的規模の課題の解決の取り組みを行ったりすることで、世界の安定と平和に貢献することは、食糧や資源などの安定供給といった観点からもとても重要なことで、ひいては日本の利益にもつながることなのです。

どのくらいのお金がかかっているの?

平成21年度予算の内訳

 日本の国家予算のうち、ODA予算は全体の約1.3%です(平成21年度予算)。
ODA額は、1990年代はずっと日本が世界第1位でしたが、国内の経済・財政状況から減少が続いてます。
 一方、他の援助国は2001年にアメリカで起きた同時多発テロ以降、貧困がテロの温床となっているという考えから、ODA額を増やしています。
 この結果、現在では日本のODA額はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスに次ぐ第5位となっています。

今の額でも十分なのでは?

 国際社会からはそうは思われてはいません。
 日本は世界で2番目の経済規模の国ですが、ODAの対GNI(総国民所得)比でみると0.18%で、なんとDAC加盟国22カ国中、第21位。
 ちなみに、国際社会では、地球規模の課題に対応するため各国とも対GNI比で0.7%のODAを実施することが求められています。
 そのため、日本は「国の経済規模に見合った援助」を国際社会から求められているのです。

だれがやっているの?

 内閣に設置されている総理大臣を議長とする海外経済協力会議が基本戦略を審議します。そして、その戦略に沿った形で外務省が主体となってODAの政策を立案、この計画を具体的なプロジェクトに反映させます。
実際に途上国でプロジェクトを行っていくのは、外務省や援助実施機関であるJICAなどです。
そして、プロジェクトの実施にあたっては、専門分野の知識やノウハウをもって支える専門機関、民間企業、NGO、大学、地方自治体など多くの組織が連携しています。この中でJICSは「調達」という分野を担当しています。

日本のODAの特徴は?

 大きな特徴がふたつあります。ひとつは自助努力支援、もうひとつは人間の安全保障を推進するという考え方に基づいて実施しているところです。

[自助努力支援]
自助努力支援とは、途上国の人々自らの手による努力を支援することを指します。
途上国自身の努力があってはじめて持続的な経済成長が実現するという考えに基づき、支援が終わっても、途上国の人々が自らの手で事業を持続、発展的に行えるような協力を行っています。

[安全保障の推進]
グローバル化の進んだ現代では、食糧危機や環境問題、新型インフルエンザの流行など国境を越えた、すなわち地球的規模の課題が発生しています。こうした中では、これまでのような“国家の安全保障”だけでは不十分であり、“人間ひとりひとりの視点”から包括的に問題に対処していく必要があります。様々な脅威から人々を守り、そしてそれと同時に各個人の脅威に対処する能力を強化しよう、という考え方が人間の安全保障の考え方です。日本はこの考え方を大切に援助を行っています。

どんな種類があるの?

 相手国に対して資金や技術を直接提供する二国間援助や、国連などの国際機関を通じて援助する多国間援助を実施しています。

 二国間援助は開発途上国との協議を経て援助を実施することから、日本と被援助国との関係強化につながります。

 また、多国間援助は、国際機関の専門的知見の活用、政府ベースでの援助が届きにくい国・地域への支援が可能などのメリットがあります。

 なお、二国間援助は「無償資金協力」「技術協力」「有償資金協力」の3つに分かれていて、相手国のニーズに応じて実施されています。

ODAの種類

ODAの重点課題は?

日本のODAの理念(目的、方針、重点課題)や原則はODA大綱(2003年8月閣議決定)に明確に掲げられています。その中で、以下の4点を重点課題としており、積極的な取り組みを進めています。

(1)貧困削減
(2)持続的成長
(3)地球的規模の問題への取り組み
(4)平和の構築

ODAって本当に役立っているの?よろこばれているの?

ほとんどが海外で実施されていますので、みなさんに実際に目で見ていただくことは難しいのですが、どの国の国民も非常に役に立っていると感謝してくれています。ほんの一部ですが、その例を紹介します。

モルドバ 日本からの援助が「起爆剤」に 農業再生と生産性向上に貢献

トラクター ヨーロッパのウクライナとルーマニアの間に位置するモルドバ国は、1991年に旧ソ連からの独立以降、経済の混乱が続き、主要産業である農業も壊滅状態となっていました。老朽化した農機を新たに買い替える資金がなかったために、農地を放棄してしまう農家も多くありました。

 日本政府は、モルドバが農業を再生させ生産性を向上させる努力を支援するため、2000年度に無償資金協力 貧困農民支援(2KR)を開始し、トラクターなどの農機を購入する資金を供与しました。モルドバ側は、日本から供与された資金でトラクター296台を購入し、自国の農家に低利で販売しました。

 2KRの枠組みで行うプロジェクトでは、日本から供与された資金により購入した商品の販売代金(これを「見返り資金」といいます)を積み立てて、自国の社会事業などに活用することが義務付けられています。単に資金を供与するだけで終わるのではなく、自国内で活用することで持続性のある、より有効な援助を行うためです。

 このプロジェクトにおいて、モルドバ側は、農家にトラクターを販売して得た資金でさらに新たなトラクターを購入、再びそれを販売、再度トラクターを購入、それを販売・・・ これを繰り返していきました。結果、5年間で当初購入した数の約6倍の1,700台のトラクターを、さらにコンバインなど他の農機を含めると合計2,135台を、農機買い替えの資金不足に悩む国内農家に販売することができました。

 日本が行った援助がいわば「起爆剤」となり、農機購入と販売のサイクルにより資金がうまく回転するしくみが形成されたとして、日本の支援に対する感謝の声が多く聞かれています。

見返り資金活用の方法

インドネシア 日本のODAで再建した学校が表彰

 2006年5月27日、インドネシアのジャワ島中部沖で発生した大地震は、死者約5,700名、倒壊した家屋60万軒以上(うち13万軒弱の住宅が全壊)という深刻な被害をもたらしました。日本政府はこの地震被害に対して、国際緊急援助隊の派遣や緊急援助物資の提供、無償資金協力を行い、被災地の復興を支援しました。

 この無償資金協力の一環として行われた防災・災害復興支援では、小中学校および地域診療所の再建が行われました。いずれの施設も被害を受けた地震と同規模の地震にも耐えられる設計となっていることが、震災によって心理的にも大きなダメージを受けた被災地の人々に高く評価されています。

生徒たち このプロジェクトによって再建された学校のひとつであるプンクラン小学校が、郡、県、州で行われた学校コンテストでそれぞれ優勝し、州代表として参加した全国の学校コンテストで5位になり教育省から表彰されたという嬉しいお知らせが届きました。校長先生の指導のもと、掃除や備品の整理などを行い、施設をより有効に使用する努力と工夫がなされていることなどが評価されたそうです。

 インドネシアでは、公立の小中学校に進学する場合でも自動的に最寄りの学校に入るのではなく、親と一緒に学校を選び希望校の学力試験を経て入学します。その学校選びの際には、施設の充実度、先生の評判、地域のサポート体制などが考慮され、人気によって生徒の集まり方が違ってきます。

 施設が充実している → 学校の人気が上がる → 生徒が集まる → 学力レベルが上がる → 良い先生が集まる → 地域の期待が高まりサポートも厚くなる → 施設がますます充実する といった、良いサイクルが生まれているとのことです。このプロジェクトで再建したほかの学校の入学希望者も増えているという報告もあります。

 日本の支援で再建された施設を、学校関係者や生徒だけでなく地域全体で大切に活用している様子がわかりますね。震災の悲しみを乗り越え、たくさんの生徒が元気に学べる場であることを願いたいですね。

ハイチ 地震緊急援助の場での助け合い

 2010年1月12日、カリブ海の国ハイチでマグニチュード7.0の大地震が起き、甚大な被害が発生しました。さまざまな国がハイチに援助活動を行うなか、日本政府は、ハイチ政府の要請を受け、災害直後に緊急的に行う援助活動として、国際緊急援助隊医療チームを派遣しました。

 国際緊急援助隊は、首都ポルトープランスから南西に約40キロ離れたレオガン市で医療活動を行うことになりました。現地到着当時、レオガン市では建物の9割が倒壊し、死傷者は1万3千人を数え、早急に援助を必要としていました。

 レオガン市には、まだどの医療チームも到着していませんでしたが、スリランカ軍が国連平和維持活動(PKO)の一環として、現地の治安維持活動にあたっていました。日本の緊急援助隊が医療活動を行うことがわかると、スリランカ軍関係者は、「日本には津波のときに助けてもらった。日本のチームの安全は我々が守る」と言ってくれたそうです。

 この言葉どおり、スリランカ軍は緊急援助隊が活動を行った2週間、24時間体制で警備を行い、隊員の活動を支えてくれました。

 2004年の津波被害に対して行われた日本の支援が、時と場所を越え、ハイチでの援助活動の場で助け合いにつながりました。

2004年に起こったスマトラ沖大地震・インド洋津波

 このほか、紙幣や切手に日本の協力プロジェクトを印刷して、感謝の意を示してくれている国もたくさんあります。

ちゃんと評価してるの?

 もちろん実施しています。
 ODAをより効果的、効率的にするため、実施状況や効果を把握し、必要に応じて改善していく必要がありますので、OECDのDACで推進されている世界的な評価基準等に沿って評価を行い、その結果をホームページなどで公開しています。
 評価には、“政策評価法”という日本の法律に則って外務省が自ら行うものや、JICAが自ら行うものもありますが、客観性を確保するため、外部の専門家を中心に構成される「ODA評価有識者会議」やコンサルタントなどの第三者に評価を依頼しているものもあります。

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