国内勤務者リレーエッセイ No.15
感謝の気持ちをいっぱいいただきました
(ブルキナファソ 保健社会向上センター建設計画)
坂井 信博 (業務第二部 機材第二課)
2015年5月18日(月)、西アフリカの内陸国ブルキナファソで実施しているプロジェクト「保健社会向上センター建設計画」で、建物の引き渡しが3つの村で行われました。その3つの村の全てで、村人総出で、大きな感謝を受けました。JICSの仕事が、現地でこんなに喜ばれているという嬉しさを是非お伝えしたいと思い、この記事を書かせていただきます。
1 プロジェクト概要
このプロジェクトは、2012年4月27日に日本政府がブルキナファソ政府に14.01億円を供与する交換公文が取り交わされたことから始まりました。保健サービスへのアクセスの悪い39の村落を対象にCSPS(保健社会向上センター=地域の一次診療所)を建設し、オープン後の運営の研修、医療に欠かせない水の確保のための井戸掘削、医療機材や家具、ワクチン運搬用バイクの調達を行うものです。
現地企業や資機材の積極的な活用により、現地のニーズにあった品質を確保しつつ、よりコストを縮減することを大きな特徴としたODAの援助形態(コミュニティ開発支援無償)で実施しており、現地ブルキナファソの施工会社に施設建設を発注している点も大きな特徴です。
JICSはブルキナファソ政府の代理人として、現地でブルキナファソの施工会社を選定しました。建設が始まってからは、邦人コンサルタントが現場の工事監理を行い、日本の援助案件としての建設品質を保ち、JICSは援助資金の管理と案件全体の進捗管理を行っています。
コンサルタントもJICSも現地にオフィスを構え、邦人が常駐してプロジェクトを進めています。JICSは首都ワガドゥグのオフィスに同僚の野崎さんが常駐し、私は日本でプロジェクトマネージャーとして、国内担当者(当初村山さん、その後和泉さん、後藤さん)と、チームを組んでプロジェクトを進めていました。
完成した建物はこんな感じです
一般診療棟内部
産科棟
宿舎棟と台所棟
2 出張概要
39の村の内、まず3つの村で施設建設が終わったことを受けて、ブルキナファソ保健省、現地施工会社、建設コンサルタント、JICSの四者で、竣工検査と鍵の引渡しを行いました。
今回の3村は、プロジェクト対象の中では比較的アクセスの良い方なのですが、それでも、病院のある最寄りの町から車で1〜2時間かかります。また、雨季には普通乗用車ではアクセス不能になるようなところです。村人たちは普段、身体の具合が悪くなったら、バイクや自転車で、遠く離れた町の病院まで行くことになります。
なお、電気も水道も来ていない地域なので、電灯は太陽電池式、薬品保存用冷蔵庫はガスボンベ式としています。水は近くの井戸から汲んできてタンクに入れて使います。
3 竣工検査
最初の村(ファクーナ)の様子
(著者は手前から4人目)
今回、建物は完成しましたが、CSPSのオープンには、医療機材や家具の搬入(納入準備中)、医療従事者の配備(保健省手配中)が必要です。ですが、「完成した建物の検査だ」と施工会社の社長から聞いていた村の人達は、この時点でもう大喜びで、総出で私たち一行を迎えてくれました。
どの村も、施工現場の脇の空き地の木陰(もしくはこの日の為にテント設営)に村人が勢揃いし(数百人規模)、中心には村の長老や主要人物が待ち構え、大勢の人の歌や踊り等の催し物で、お祭りのようです。
間違ってはいけないのは、私たちは歓迎セレモニーのために村を訪れたのではなく、建物の施工状況の技術的な確認と、施主側への鍵の引渡しで来たのです。村の人達が総出で歌い踊るのは、大変嬉しい限りですが、竣工前の建設現場に入れるべきではないですし、まずはしっかりとした竣工検査の実施です。
本プロジェクトの建設コンサルタントとして現地で常駐されている沼田様は、日々の工事監理をきっちりと実施してくださっており、3村とも、やり残し工事等は全くなく、当日、無事引渡しが出来ました。ご本人は当たり前のことだとおっしゃいますが、これだけアクセスの悪い、遠く離れた複数の現場を担当して、現地技術者を指導し、ご自分もきちんと現場を巡回して工事監理をやり続けるのは、体力・気力共に、とても大変なことだと思います。施工会社から大きな信頼を寄せられている様子も拝見し、改めて、プロの仕事に頭が下がる思いでした。
3番目の村(カリ・ド・ティカン)の様子。
祝辞を述べているのは後で登場するポロシャツの顔写真の長老
4 村での歓迎
どの村も1時間程度で建物の検査が完了し、村人の待つ場所に戻ると、歌や踊りが続く中、長老はじめ主要な面々の祝辞があり、飲物(水、ジュース、コーラ、ビール。ちなみに酷暑のため温かい)が振舞われ、村人全員分の食事(鶏ご飯や、よく煮込んだスパゲッティ)が準備されていて、食べていくように勧められました。
村の人達の祝辞は現地語のため、訳してもらった要点しか把握できませんでしたが、どの村でも必ず、女性の代表(助産師さん等)がマイクを取り、「今まで、遠い町まで行かなければならなかったが、これからはこの村で出産が出来る。本当にありがたい。」と語り、大きな喝采を浴びていました。
5 ポロシャツ
おそろいのポロシャツを着用した村の方達
3番目のカリ・ド・ティカン村での出来事です。予定時刻から大分遅れて2番目の村を出て、幹線道路を経由して、さぁこれから脇道だ、というポイント(田舎なので空き地はいっぱいあります)に、バイクや軽自動車のようなものに乗った、若人中心の大集団(たぶん200人以上)がいました。カリ・ド・ティカン村の人達が、私たちのことをずっと待ち構えてくれていたのでした。そして、彼らの多くが、同じデザインのポロシャツを着ていて、どうも日の丸が描かれていることに気がつきました。村にたどり着いてから近くで見せてもらうと、胸には、左に村の長老の顔写真、右に日の丸、それぞれに「VIVE KARI(カリ万歳)」、「VIVE JAPON(日本万歳)」の文字。背中には、建設途中の建物を写真に撮ったのでしょう。Dispensaire(一般診療棟)と表示のある建物の正面写真を大きくプリントし、その下に、 「AVEC JAPON IL Y A ESPOIR (日本と共に、希望がある)」。これを見たときは、正直、感激で泣きそうになりました。
今回の引き渡しに先立ち、在ブルキナファソ日本国大使館の二石昌人大使にお会いした際にいただいた言葉を思い出しました。「日本の援助は、後で、しみじみと、感謝してもらえるものが良いですね。学校も、CSPSも、派手な大建造物ではないですが、住民の生活の基礎をしっかりと支える機能を果たし、とても良い援助だと思っています。」とおっしゃってくださいました。
今後「このCSPSのお蔭で遠い町まで行かなくても、治療を受けられた、出産出来た、薬がもらえた」という声がこれらの村で聞かれることでしょう。また、これから産まれるであろう子供たちは、将来「自分は日本が造ってくれたCSPSで産まれた」と言ってくれると思います。
こうして日本の援助が現実の形になった姿や、現地で村の人が本当に喜んでくれているのを目の当たりにして、本当に素晴らしい案件を担当させてもらえたと、嬉しい気持ちでいっぱいでした。現場に近いJICSならではの経験かとも思いました。
私は、残念ながらプロジェクト完了前に人事異動で部署を移りましたが、プロジェクトオフィスに常駐している野崎さんがプロジェクトマネージャーを引き継いでくださいました。引き続き、ちょっと横の部署から、応援したいと思っています。
参考
(1)このプロジェクトに関する過去の記事やプロジェクトの詳細はこちら(JICSホームページの本案件記事ページ)です。
(2)ブルキナファソの平均寿命は59才(男性 58才 女性59才)※1。日本は84才(男性80才、女性87才)。
(3)ブルキナファソの新生児死亡率(生後1ヶ月までの新生児1,000人当たりの死亡数)は26.7人。日本は0.9人。乳児死亡率(生後1年までの乳児1,000人当たりの死亡数)はブルキナファソ60.9人。日本は2.0人。乳幼児死亡率(生後5才になるまでの子ども1,000人当たりの死亡数)はブルキナファソ88.6人。日本は2.7人※2。
※1 World Health Organization, Life expectancy Data by country(2013),
URL:http://apps.who.int/gho/data/view.main.680 (最終閲覧日2016年1月12日)
※2 World Health Organization, Probability of dying per 1000 live births Data by country (2015)
URL:http://apps.who.int/gho/data/view.main.CM1320R?lang=en (最終閲覧日2016年1月12日)