2004年12月26日にインドネシアのスマトラ沖で発生したマグニチュード9.3の大地震と、その後発生した津波による大災害から5年が経った2009年12月26日、最大の被災地となったインドネシアのバンダアチェ市で、インドネシア政府による追悼式典が開催されました。
式典は、復興事業の一環として整備されたフェリー乗り場敷地内で行われ、ブディオノ副大統領、イルワンディ アチェ州知事、クントロ アチェ・ニアス復興庁元長官(アチェ・ニアス復興庁は2009年4月に解散)をはじめとするインドネシア政府関係者および遺族や地域住民数千人が出席しました。
20万人以上の犠牲者が出たといわれる、この未曾有の大災害に、日本政府は、特に被害の大きかったインドネシア、スリランカ、モルディブに対して総額246億円のノン・プロジェクト無償を供与し、被災地の復興を支援してきました。また、JICSは、この復興支援における調達代理機関として、必要な物資やサービスの調達に務めてきました。
このプロジェクトでは、被災により壊滅的な打撃を受けた道路や上下水道などの生活インフラの建設・修復工事をはじめ、他にも医療や教育、産業セクターなどにおいて、各種資機材の調達や施工工事を実施しています。
このたび、バンダアチェ市長を通してアチェ州知事からの招待状を受け取り、JICSより長谷川プログラムマネージャー(当時)が、バンダアチェ市で行われた追悼式典に参加してきました。長谷川はプログラムマネージャーとして、災害発生直後から現場被害状況を確認し、以降5年にわたりこの復興支援事業に携わってきました。この追悼式典への参加の機会をとらえ、津波による大災害とその後のアチェ復興について振り返りました。
「スマトラ沖大地震およびインド洋津波被害から5年を経て」
長谷川 庄司
昨今は日本だけでなく世界中で台風やサイクロン、地震等の大きな災害が発生しています。今年に入ってからも日本時間の1月13日午前6時53分にカリブ海の島国ハイチにおいてマグニチュード7.0(7.3との発表も有り)の地震が発生し、1月18日現在で死者は最大20万人にも達する可能性があると同国内務相は発表しています。国際赤十字社・赤新月社連盟(本部ジュネーブ)は、被災者数は約300万人にも達すると予測しており、人口約1000万人の同国の約30%が被災している可能性があります。このように大地震の犠牲者が増え続けているハイチに対して、各国が次々と支援を表明しています。
このような国際支援は、2004年12月26日に発生し、マグニチュード9.3を記録し、20万人以上の死者を出したスマトラ沖大地震およびインド洋津波による未曾有の大災害以来、迅速に実施されるようになってきました。
JICSはスマトラ沖大地震およびインド洋津波災害に対して日本国政府が実施した無償資金協力の被援助国側の調達代理人として、資金管理および物資やサービスの調達業務を担当してきました。この未曾有の大災害から5年が経過した2009年12月26日に最大の被災地であったインドネシア国ナングロ・アチェ・ダルサラーム州の州都バンダアチェにおいてインドネシア政府による5周年記念の追悼式典が開催され、出席してきました。
災害復興事業が本格化していた2年ほど前まではインドネシアのナショナル・フラッグであるガルーダ航空だけでも首都ジャカルタからバンダアチェまで毎日3〜4便を運行させ、殆どの便が援助に携わる人で満員でしたが、援助機関の殆どが活動を終了させ、事務所を閉鎖してしまった現在では、毎日1便のみの運行になった上に、ジャカルタからの途中寄港地であるメダンで3分の2の乗客が降りてしまうというような状況の中、バンダアチェ空港に2009年12月25日に降り立ちました。
12月26日に追悼式典は津波復興事業で整備されたウレレ地区のフェリー乗り場敷地内で執り行われました。追悼式典には遺族を含め、学生から地域コミュニティの代表者まで数千人が出席しました。復興事業が本格的に行われていた時はバンダアチェ市内は外国人援助関係者で溢れ返っていましたが、今回の式典に出席していたのは私も含めて一桁の数の外国人でした。それだけ復興事業は完了してきているのだというのを意識したのと同時に、これからはアチェの住民自らが復興事業に担っていく必要があると感じた瞬間でした。
スピーチを行うブディオノ副大統領
式典にはブディオノ副大統領や、イルワンディ・アチェ州知事、2009年4月に解散したアチェ・ニアス復興庁のクントロ元長官を初めとした来賓やアチェ州選出の国会議員も出席されました。ブディオノ副大統領は「アチェの発展に向け、住民の強いつながりが不可欠です」と述べ、イルワンディ州知事は「悲劇を乗り越えて、つらい体験を人生の糧にしていこう」と呼びかけていました。
追悼式典に参加していた一般市民の間からは副大統領や州知事のスピーチに真剣に聞き入り、時には歓声を上げ、また時にはすすり泣くような声が聞こえ、まだまだ住民には忘れることのできない記憶が残っているのだと実感しました。
この追悼式典の様子は、インドネシア国営テレビのアチェ局を通じてインドネシア全国に中継放送されました。このとき使用されていたテレビ中継車、カメラ、マイクロフォンなどの放送機材は、すべて日本の無償資金協力によって供与されたものです。そして、それらの調達を行ったのはJICSです。苦労して調達した機材が、目の前で使われているところを見て、とても嬉しく思いました。
式典後、ブディオノ副大統領をはじめとする来賓全員で、バンダアチェ市における復興事業を代表する施設として、日本の支援で再建され、JICSが調達監理を行ったバンダアチェ第11中学校(SMP11)の視察を行いました。今回の唯一の視察先として日本の支援で再建した学校が選ばれたことから、インドネシア政府からも日本の支援が高く評価されていることが伺え、事業に携わった者としてたいへん誇らしい気持ちになりました。
バンダアチェ市は、この5年間で日本を含む多くの国から支援を受けながら、復興の歩みを進めてきました。JICSも既に事務所を閉鎖してしまいましたが、まだまだアチェは復興が完了したわけではありません。ブディオノ副大統領が追悼式典で述べたように、住民どうしのつながりをより強固なものとして、地域の復興を進め、発展へとつなげていってほしいと願っています。